“副詞が名詞につく事はない、だとすれば・・・”

副詞の定義から入ることにしよう。
副詞には、大きく分けて二つの役割がある。
一つは、述語動詞について強調の役目を果たす。
“副詞は動詞にかかる”、の原点である。
もう一つの副詞の役割に、同じ副詞、ないしは、形容詞を修飾するとある。
例外として、体言にかかるように見える場合もあるが、
とりあえず、”副詞は名詞にかからない”という前提を掲げることにする。
なぜなら、文章読解上、そのことが大きな信号として重要な役割を果たすからである。
一つの例文を挙げてみよう。これは日本文学のある一節である。
『そしてその学校の行きかえりにはいつでもホテルや西洋人の会社などが
並んでいる海岸の通りを通るのでした。』
原文のままで、文章句読点も打たれてはいない。
『そして、その学校の行きかえりには、いつでも、ホテルや西洋人の会社などが
並んでいる、海岸の通りを、通るのでした。』
これは最多級の句読点モデルである。
“いつでも”、という(副詞)の次に、”ホテル”、”西洋人”、”会社”などという、
名詞が並んでいる。
正確に言えば、名詞の羅列で構成された形容詞節なのだが、
“いつでも”が、”並んでいる”にかかっていないだろう事も一目瞭然である。
なぜならこの”並んでいる”は、一見、動詞形にも見えるが、明らかに、
“海岸の通り”の形容詞節を構成している。
とにかく初見だろうが、副詞の次に名詞が控えていたら、
瞬時に疑ってかかる。”副詞は名詞にかからない”のだと・・・・
この場合など、句読点がないために、なだれ込んで読む場合も少なくない。
まさに、これが副詞の倒置法・倒置形なのである。
確認するためには、即、順列にして読んでみればよい。
『ホテルや西洋人の会社などが並んでいる海岸の通りを、いつでも通るのでした。』
これが順列の形である。
作家・ライターが文章を書くとき、倒置法にしてやろうなどと頭で考えながら
展開しているわけではない。自然な形で、まったく無意識の中に倒置法などが
多用されているのであって、とても一般的な作文法であるといえよう。
そう、この副詞の倒置形が見えたら、
副詞を、絶対に名詞につながってしまうような音で読んではいけない。
その副詞が動詞に着地できる音を探りながら、名詞節は別次元の音として
おいて行かなければならない。
結果としては、”いつでも”は、”通るのでした”にかかる最終副詞であるからにして、
高い音で述語動詞にかかり、”ホテルや西洋人の会社などが並んでいる”、は、
限定名詞である”海岸の通り”のイコール修飾になり、
イメージングをもって、マイキーで語られる音で、”いつでも”と、重なりようがない
のである。